知らぬ間に「共依存」になってしまった
ここまで、親のギャンブルとそれに伴う借金に振り回されてきた私とその家族。
家族を巻き込んで、すごく迷惑をかけている・・・これ以上、黙って見過ごすわけにはいかない。
でも、憎い親だけど、ここまで育ててもらっているし、見捨てるわけにはいかない。
兄は、遠くで家族もいてアテにはできない・・・
私がなんとかしなければ!
こういう思考回路になってしまうのです。
本人に、毎日のように「また借金してないよね」と聞いてみたり、持ち物を全部出させてチェックしたり、仕事中、自宅の固定電話に電話をし、電話に出ないと「どこに行ってた?」と問い詰めてみたり。
依存症者が抱えるべき問題を自分の問題と思い込んでいました。
依存症者の行動を管理し、どうにかして自分の思い通りにしようとしていたのです。
こうなると、だれのためにもなりません。依存症者を手助けするつもりが、再起の邪魔になってしまうのです。
依存症について知るうちに、自分のこうした行動が非常にまずいものだと気づきました。
が、同居している以上、借金返済の催促はうちにくるのです。悠長なことは言っていられません。
ブログのタイトルにもしている「親を捨てて自由になる」は、こうした経験からきた言葉です。
「血」は、ときに冷静な判断力を奪い、情に流される決断を促します。
でも、自分が家庭を持っている以上、守るべきはこの家族で、依存症の親ではありません。
どこかで、私が決断しなければならないのです。