親を捨てて自由になる

困った親を捨て自由になることを目指すブログ

夫婦の家事分担

今日は、夫との家事分担について。

 

我が家は現在多数派の共働き夫婦です。

お互いフルタイム。

年収は100万円ほど私のほうが多いといったところ。

 

子供が保育園や小学校の頃、体調不良になると、必ず母親の私のところに電話がかかってました。

 

最初は、第一連絡先にしてるからか?と思ったので、途中、夫の携帯を第一連絡先にしてみました。(夫のほうが、迎えなど行きやすかったんですよね)

 

が、結果変わらず。ずーっと第一報は私に連絡が来ていました。

 

やりかけの仕事や、締め切りの近い仕事を放り出して、泣く泣く迎えに行っていました。

子供は、もちろんかわいいし、体調が悪ければ心配です。

が、それとこれとは別。

どちらも大事だけど、どちらも全力投球で取り組めないもどかしさを感じていました。

何にも中断されることなく仕事ができる夫が羨ましかった。

 

たまに夫に話してみても「しょうがないねぇ~」でおわり。

わたしも、それ以上突っ込んで話すこともなく、「しょうがないか」と思っていました。

 

最近、気になるのが、家事の分担。

 

家の仕事って、料理・洗濯・掃除だけじゃなくって些末なものまで含めるとほんとに気が遠くなるほど多いんです。

 

私が苦痛なのは、料理を作ることじゃなく、1週間分の献立を考え、なるべくもれなく週末に買い物を済ませておくこと。

もちろん、ゴミ袋,シャンプー,トイレットペーパー,ポケットティッシュ,綿棒,洗剤・・・日用品も不足がないようくまなくチェック。

 

あと、掃除が苦痛なんじゃなくて、畳んである家族の洗濯物をいちいち部屋まで運び、床に置いてあるものをまずどかして平らな状態にもっていくまでが疲れる。

 

夫は指示を出せば実に何でも機嫌よくやってくれるんです。

 

が、私が求めているのはそこではない。

 

指示なんか出さなくても、やることが山ほどあること、この20年でわかったでしょ?

 

指示出すほうも、まるで命令してるみたいで、あまりいい気持ちしてませんよ。

 

食器洗いなんか食洗器が機嫌よくやってくれるんだから、その時間、違うことを済まそうとか思わない?

 

昔の私だったら言わなかったことをズケズケ言えるようになってしまいました。

 

言ってもケンカにならず、素直に耳を傾けてくれるから言えるんですけど。

 

もうちょっと、足りないんですよねぇ。

 

ぜいたくなのかな?

 

 

 

 

身内贔屓できない親で、スミマセン

先日は、次男の部活の3年生を送る会がありました。

 

会場は焼肉店で、焼肉食べ放題。もちろんアルコール飲み放題で。

 

よそのお子さんは、学校での出来事をけっこう細かく親に話しているよう。

 

「そういえば、数か月前、●●君と▲▲君(うちの次男)以外の1年生全員で部活をやめよう、って話になったよね」

 

え??なーんにも聞いてないんですけど。

どうやら、先輩達に対して不満がたまっていたらしい。

まあ、次男の中では「そんなこと、かーさんに言ったってしょうがないやん」ってことなんでしょうけど。。。

 

ここで違和感を感じたのは、私が話を知らないことでなく、その行動に出た子供たちの肩を持つ母たちの姿。 

 

「やめる」ことを人質にして自分たちの要求を通すのは・・・どうなの?

もっと他の手段を考えたほうが良かったのでは??

とゆーか、高校を出たらほとんどの子が、即、社会人なのに・・・そんなの企業じゃ通用しませんよーー。

 

なんだかモヤモヤしつつ、空気を読んで何も言えないワタシ・・・

 

そんな自分が一番「どうなんだ??」なんですけどね。

 

そうか。

母親のこの思考回路を知ってるから、次男は何も言わなかったんだ。

 

正論を振りかざして、身内贔屓の出来ないワタシ。

 

本当は、子供たちの気持ちに寄り添うことがいい母親なんでしょう。

 

でも、どーーーしても言わなくていい一言を発してしまうワタシ。

 

そういえば、長男も学校での出来事は良いことも嫌なこともほとんど言わなかったなぁ。

 

NHK【ねほりんぱほりん】でギャンブル依存が放送されました。

昨日、NHK ”ねほりん ぱほりん” にて、ギャンブル依存症の特集がされていました。

 

特集があることを知らなくて、たまたま付けたときは「夫がギャンブル依存だった」という方のお話でした。

 聞いていると何とも切なくて、一昔前の自分を見ているようでした。

 

ギャンブル依存と切っても切れないのが「お金」です。

 

ギャンブル依存の人はほぼ100%借金を繰り返します。

それは、返すアテがなくても繰り返され、ついには限度額を超えてヤミ金への借金に及ぶのです。

 

なぜ、返すアテがないのに借りてしまうのか?

 

答えはギャンブル依存という病気だからです。

 

病気でない人は理性が働き、一線を越えることはありませんが、ひとたび依存症になると、この冷静な判断ができず、ブレーキが利かないのです。

 

ギャンブルのためのお金なら、どんなお金でもいいのです。

返すアテがなくても、家族を苦しませても、たとえ犯罪行為であっても・・・

 

そのためなら嘘も平気でつけるし、守れない約束もします。

「もうギャンブルはしません」という誓約書だって作ります。

 

そんな依存症者を持つ家族は、次第に人を信用できなくなっていきます。

常に疑心暗鬼。

依存症者の行動をチェックし、口座の残高、家計の財布、子供の貯金箱、加入している貯蓄性のある保険・・・いつも気にして、減っていないか、勝手に解約されていないか確認します。

 

番組でお話しされていた方も、「本当に苦しかった」とおっしゃっていました。

 

本当によくわかります。

 

そして、治ることのないこの病気。

 

家族も依存症者が生きている限り一生付き合っていかなければならないのです。

 

今現在も、苦しまれているご家族の方がいることを思うと、胸が苦しくなります。

 

どうか、自分を大切に。自分ファーストでいいじゃない!!

 

あなたを守れるのはあなただけ。

 

辛くて、苦しくて、自分が消えてしまいたいときも・・・忘れないで。

 

 

起きていないことを憂うよりも、今を大切にしたい

なかなか記事を書く気分になれなくて・・・

最後の投稿から1か月以上経ってしまいました。

 

親は、施設にも慣れてきたようです。

よかった。

 

「帰りたい」って言われても・・・彼女のやってきたことを考えると、家にはもう連れては帰れません。

 

私ができるのは親の年金を管理し、買出しをすること。

 

それだけ。

 

しかし、この「年金の管理」がなかなか厄介で、毎月赤字ギリギリになってしまうのです。

 

理由はわかっています。

ただでさえ余裕はないのに、そこにカードローンの返済が残っているから。

たかが1万5千円。 されど1万5千円。

あと、ついつい気の毒に思えて、ジュース代などを多めに渡してしまっているのも原因のひとつですね・・・

【塵も積もれば山となる】とはこのことなんですね。

 

危うく、親の問題を私の問題と勘違いしてしまいそうになる毎日ですが・・・

 

これは、あくまでも彼女の問題。

 

彼女の積み重ねてきた毎日がこの結果をもたらしたのです。

 

蓄えの少ない状況で親に何かあれば少なからず私にも火の粉が降りかかってくるとは思いますが・・・

 

起きていないことを憂うより、毎日を丁寧に過ごしていきたいです。

長かった・・・長男の反抗期も終わりそう。

大学の冬休みも今日で終わりです。

 

今日は、長男を下宿先のアパートまで送り届けてきました。

(米やなんやかんや荷物を持たせて・・・)

 

今回は、長男の成長を感じる正月となりました。

 

 

長男は、反抗期がすさまじく、ハリネズミが危険を察知してトゲトゲしているような状態でした。(結構早い時期から・・・)

 

「俺にかまわないでくれ」

という、まがまがしいオーラを発し、子供部屋が一緒だった次男はよく餌食となり、泣かされていました。

 

家族で出かけることも拒否。

 

家族旅行なんて、長男が小6の卒業旅行が最後。(それも、しぶしぶ)

次男が小6の卒業旅行では、「3人で行ってきて」

と、同行拒否。

 

いつもなんだか とがってて、チェッカーズの歌詞に出てきそうな子供でした。

 

そんな彼がこの正月は!!

 

「ん?親戚の集まりでにこやかに談笑してるぞ!?」

 

「え?知り合いのお家にも一緒に行くって!?」

 

と、これまで見かけたことのない姿。

 

何の苦も無く頂けていたお年玉が目当てだったのかもしれませんが・・・

 

これまでは、親戚に話しかけられても

「普通にできるのか?」

と、こっちが心配していました。

 

それが今年は、

 

機嫌よく人の輪に入り

 

兄弟でも普通に会話をし

 

話しかけてもちゃんと返事がある!!!(当たり前がそうじゃなかった)

 

一人暮らしが吉と出たのか、長かった反抗期もそろそろ終了。

 

ホッとしたような。ちょっと寂しいような。

 

 

 

 

 

 

 

自分のしたことはかえってくる

今現在、親から離れたくてもがいているたんぽぽです。

 

最近おもうのです。

 

自分の ”したこと” は同じようにかえってくる  

 

と。

 

思えば約30年前。

 

当時、半身不随だった父親は自宅や近所で転倒することが増えていました。

 

そして、母親は父親を病院に入院させることを決めました。

 

老人専門の病院で、入院の条件は満たしてませんでしたが、療養枠で入院させてもらえたようです。

(今なら考えられませんが、当時は、事情を酌んでもらえたようです。)

 

「生きてあの病院から帰ってくることはないよ」

 

父親が出て行ったあと、中学生だった私に母親は言いました。

 

それを聞いた私は強い罪悪感を感じました。

 

例えるなら、火葬場のigniteスイッチを自分が押してしまったような感覚です。

 

自分がとどめを刺したような。

 

きっと、こうするしかなかったのでしょうが・・・。

 

 

 

そして、あれから30年。

 

父を入院させた母親を私が施設に入所させる・・・

 

あと数十年後は、私も自分がしてきたことの 総決算 をする時がくるのでしょうか。

 

なるべくお手柔らかに願いたいものです。

 

 

 

 

上沼恵美子さんの良さに気づく年頃

唐突ですが、ここ数年で上沼恵美子さんがめちゃくちゃ好きになりました。

 

まだ私が20代だったころは、あの芸風に馴染めずテレビに出ていると思わずチャンネルを変えてしまっていました。

 

ずけずけものを言う感じが、聞いててなんだかいたたまれないような気持になっていくのです。

しかも、当時は上沼さんのお姑さんネタが多くて、結婚もしていなかった私は

「そこまで言わんでも・・・」

と思っていたのです。

 

それから時は経ち、結婚、出産を経験し、夫との日常のイザコザ、それなりの親戚づきあいやママ友付き合いも経験。

 

ある日、たまたまつけていたTVに上沼恵美子さんを見つけました。

 

番組を見終わって

「あれ?こんなに面白い人だったっけ?」

と、あまりの面白さにびっくり。

一緒に見ていた夫に

「めちゃくちゃ面白かったね~」

「そう?」

夫はそうは思わなかったよう。

 

もともと夫とは笑いのツボが合わないからな~とあまり気にもしていませんでした。

 

ですが、最近ヒシヒシと感じるのです。

 

20年前とは明らかに変わってしまっている自分に。

 

もちろん、20年も経てば人間は変わるものだろうと頭ではわかっていました。

年を取るのだから体力的にも見た目的にも、もちろん考え方も。

 

でも、笑いの好みまで変わるなんて思っていませんでした。

 

上沼さんの良さは、何といってもあの「間」です。

 

あと、どこまでが本当かわからないけど、自分の生活を切り売りしているようなママ友ネタや上沼さんのご主人のネタも大好きです。

 

ここから先、まだどんな引き出しがあるか、楽しみです。