親を捨てて自由になる

困った親を捨て自由になることを目指すブログ

2020年も、よろしくお願いいたします。

あけましておめでとうございます。

  

年が明け、お屠蘇を頂き子供たちにお年玉を渡した後、「今年の一言」として次の言葉を送りました。

 

いつまでも、あると思うな親と金

 

もう、大学生と高校生。

 

しかも、大学生は「バイトしたくな~い」といって、仕送りも少ないのになかなかバイトを始める気配もなく、入学時にいただいたお祝いを切り崩して暮らしています。

口癖は「金がもったいない」で、なかなかのしまり屋ですが、なければ労働で得るしかないのです。

我を忘れて働く必要はないけど、必要最低限は労働して生活の糧を得なさい。

 

高校生のほうは、「おれ、就職して2年くらいは仕送りしてほしいわ~」

・・・おまえは馬鹿か。

「いいなぁ~。兄ちゃんは仕送りもらって」

だから、言ったでしょ。

だったら、今から死ぬ気で勉強して進学したら?

どこの世界に社会人に仕送りする親がいる!

 

・・・たまに、そういう家庭もあるかもしれませんが、うちはしません。

 

彼らはどこまでぶらさがるつもりなのでしょうか。

 

今からやっと老後の準備時間。

「あんたたちのせいで、準備できんやった。って言われたら困るやろ?のちのち、こっちがぶらさがることになるよ。頑張って自立して」

 

そう言って、一生懸命ぶら下がってくる子供を振りほどこうとしている2020年の幕開けです。

 

今年も、つたない文章ですが、親のこと、家族のこと、その他ボヤキなど不定期で更新していこうと思っております。

 

読んで下さる皆様の存在が、本当に励みになっております。

 

2020年も、お付き合いのほど、何卒よろしくおねがいいたします!!

 

 

はなれて、よかった。

今日は、買出ししたものを持参して、親のところに行ってきました。

 

いつもはほとんど誰とも会いませんが、今日はお迎えらしき入所者さんのご家族が数人いらしていました。

きっと、お正月を一緒に過ごすために迎えに来られていたんでしょう。

 

ほんのちょびっとだけ罪悪感を抱きつつ、荷物を持って親の部屋へ。

 

部屋は、相変わらずの雑然ぶり。安定のクオリティです。

口酸っぱく、「荷物は少なくしとかないと」と言っておいたので、荷物自体は少ないはず。

しかし、あるべき場所にそれらがしまわれることなく、室内にどんどん積み重なって雑然ぶりを醸し出しています。

 

”片づけられない人”

 

は、荷物を減らしても片づけられないってことが、よーくわかりました。

 

荷物を渡し、所持金の残り具合を確認したら、用事は終了。

 

「年内は、もう来れないよ。正月明けたら、子供たちを挨拶に連れてくるから」

と伝え、施設を後にしました。

 

 

親を施設に預けて一番変わったこと。

 

それは、「あぁ、家に帰りたくないな」と思うことが全くなくなったこと。

 

これは、大きいです。

あの頃の私は、病む一歩手前(ひょっとしたら、もう病んでた!?)だったのかもしれない。

親から、離れられて、よかった。

 

ほんとうに。

 

もうすぐお正月

もうすぐ2019年も終わります。

今年は子供たちの卒業、入学、親との別居と目まぐるしい一年でした。

 

そして、施設に親を預けて初めてのお正月を迎えます。

 

そこまで親しくない人(親の施設入居に際して「最近、転倒が増えて一人で家に置いておくのが不安だから」という理由を伝えている人)から聞かれ困ってしまうのが

 

「お正月、家に連れて帰らないの?」

 

です。

 

親との別居の本当の理由を知っている人からは聞かれません。

 

施設でも、家族のある方はお家に引き取られたりで、人が減り、寂しいかもしれません。

本当は連れて帰ってやったほうがいいのでしょう。

ですが、私の心の健康のために、お正月は施設で過ごしてもらうことにしました。

 

一応、お正月の挨拶には行くつもりですが、そこまで。

 

いちいちカバンを持ち歩いて金品を親の目につかないところに隠す生活からやっと解放されたのです。

もう、元には戻れません。

 

私の心のキャパはそう簡単には広がりません。

残り少ない歯磨き粉のような・・・

先日、次男の懇談会がありました。

 

今年の春から長男は高校を卒業し大学進学、一人暮らし。

次男は高校へ進学しました。

 

兄と同じように、大学進学を目指すと思っていたのに、次男の口から出た言葉は

「おれは、工業高校に行く」

「もう、勉強したくない。どうせ勉強したって兄ちゃんみたいにいい大学には入れん。しょーもない大学しか行けんなら高卒で働く」

でした。

 

私は、生涯賃金の話、大学生の特権(時間のゆとりとその間に得られる経験、様々な価値観に触れられることなど)を挙げ、説得しました。

が、誰に似たのか頑固者。

意見を変えることは一度もなく、4月から工業高校に進学しました。

 

こうなると、うっすらと見えていた子育ての終わりが、くっきりはっきり見えてきました。

 

長男が一人暮らしのために家を出てもそこまで感傷的になることはありませんでした。きっと、仕送り等含め、まだまだ親の庇護のもとにいると思えたからでしょう。

 

しかし、次男はあと3年で巣立ってしまうのです。

サイクロンのような反抗期を送った長男に比べ、次男の反抗は【そよかぜ

 

バカ親だと思われるでしょうが、

荒波の中をひとりで進んでいけるのか?

まだまだ幼さの残る次男には過酷すぎやしないか?

など心配してしまいます・・・

 

思えば、もともと子供が苦手だった私が24歳で母親に。

 

全く思い通りになることはなく、いつもギャーギャー怒ってばっかりでした。

泣きながら眠ってしまった子供たちの寝顔に罪悪感は募る一方。

 

もっといいお母さんになるはずだったのに。

 

子供を「かわいいなぁ」なんて思う余裕は一切なく、

 

”早く子供が成長して手を離れないかな”

”いつになったら自由な時間ができるんだろう”

 

そんなことばかり思っていました。

 

大した用事じゃないのに、息をするように「おかあさん、おかあさん」と呼ばれ。

どこに行くにもくっついてきて、兄弟の悪事をこぞってチクりにきてました(笑)

 

しかし、いざ手が離れると後悔と寂しさがこみ上げてきます。

人間は、失ってからしかその大事さには気づかないものなのでしょうか。

あんな貴い時間は、もう帰ってきません。

 

たとえるなら、残り少なくなった歯磨き粉を今さら大事に使うような感覚です。

 

自立へのカウントダウンを感じ始め、そよかぜの反抗は受け流して。

貴重な時間を感じつつ、日々を大事に暮らしたいものです。 

 

共依存とは

 

今回は、久々に依存症ネタを・・・

 

親が依存症である私は、間違いなく「共依存」という状態に陥っていました。

 

ギャンブルにのめり込む親を支える健気な娘

 

決して演じていた訳ではなく、なんとかしてパチンコをやめさせたい。ヤミ金との付き合いを断ち切らせたい。本当に心から思っていました。

 

自助グループに参加することが依存症からの回復に効果があると聞けば連れていき。

抜き打ちで電話をかけ、今どこで何をしているかを確かめて。

本人がいないときに部屋に入って荷物チェック。ヤミ金への振込伝票探したり。

 

私がついてないとどうしようもない人だから・・・

行動を監視し、思い通りにしたい。

何が何でも依存症から立ち直らせてみせる。

 

一刻も早く離れたい。その反面、執着もものすごかった。

自分の執念深さに愕然としました。

 

支えているようで、お互いがお互いをダメにする。

 

まさに、そんな関係でした。

 

支える側は「愛をもって見放しなさい」とよく言われます。

しかし、これが非常に難しい。

 

でも、やるしかない。

本当に回復させたければ、自分の意志で這い上がらせるしかないのです。

 

いつまでも手を貸していては誰のためにもならない。

自分自身をもっと大事にするためにも、勇気をだして。

「見放す」のではなく、「距離をおいて」

この呪文を唱えながら、やっと物理的に離れることができました。

共感とねぎらい。

先週末、我が親の姉と弟夫婦(私から見て伯母と叔父夫婦)が面会に来てくれていました。

 

伯母は75歳,叔父夫婦も68歳と高齢にもかかわらず、片道2時間の道のりを会いに来てくれました。

お互いの近況報告をしたりたわいもない話をしましたが、親としては、やはり兄弟に会えたのが嬉しかったようです。

 

途中、親がトイレのため席を立ったので、軽めにこれまでの経緯を話しておきました。

会うまでは、「どこまで話そうか・・・」と思っていたんですが、とりあえず、ヤミ金の常連になっていたこと、孫の貯金箱から金をくすねていたことだけを伝えました。

 

親類にはこれまで誰にも何も言わずにいたので、叔父さんも叔母さんもびっくり。

言葉が出ない、という感じでしたが、「今まで一人で抱えさせてわるかったなぁ」と言われ、思わず涙がこぼれそうになりました。(必死でこらえましたが)

 

たったこれだけ、一言でものすごく心が軽くなりました。

 

「孫の世話をさせて、用が済んだらお払い箱にした」感からくる罪悪感。

”共感して、労いの言葉をかけられる”ことで、フッと気持ちが軽くなりました。

 

帰り際も「あんたばっかりに苦労かけて悪いね。よろしく頼むね」との言葉。

 

ホント、親には恵まれなかったけど、親類にはめぐまれたなぁ。救いはあるんだね。

 

心の軽くなった週末となりました。

介護に奮闘するあなたに・・・心の平穏が訪れますように。

今日、下の子の同級生のママ友と、久々にばったりお会いしました。

 

子供たちの近況やらを話しているうちに話題はお互いの親の話へ。

 

彼女も親と同居しており、現在は介護と仕事に奮闘しているとのこと。

話を聞いていると、同居介護の大変さをひしひしと感じました。

 

しかし、そんな中でも明るく振る舞う彼女に感心しました。

「介護の仕事をしているから、頭半分は冷静なの。でも、頭でわかってても心が受け入れないこともある」

と言っていた彼女の心が壊れてしまわないことを祈らずにはいられません。

 

私のできるアドバイスは、「親から離れることが正解なこともあるよ。娘であるあなたが決断しないと、親も含め、全員が不幸になることもあるから・・・」だけです。

 

一生懸命奮闘している彼女と彼女の家族の幸せを願っています。