残り少ない歯磨き粉のような・・・
先日、次男の懇談会がありました。
今年の春から長男は高校を卒業し大学進学、一人暮らし。
次男は高校へ進学しました。
兄と同じように、大学進学を目指すと思っていたのに、次男の口から出た言葉は
「おれは、工業高校に行く」
「もう、勉強したくない。どうせ勉強したって兄ちゃんみたいにいい大学には入れん。しょーもない大学しか行けんなら高卒で働く」
でした。
私は、生涯賃金の話、大学生の特権(時間のゆとりとその間に得られる経験、様々な価値観に触れられることなど)を挙げ、説得しました。
が、誰に似たのか頑固者。
意見を変えることは一度もなく、4月から工業高校に進学しました。
こうなると、うっすらと見えていた子育ての終わりが、くっきりはっきり見えてきました。
長男が一人暮らしのために家を出てもそこまで感傷的になることはありませんでした。きっと、仕送り等含め、まだまだ親の庇護のもとにいると思えたからでしょう。
しかし、次男はあと3年で巣立ってしまうのです。
サイクロンのような反抗期を送った長男に比べ、次男の反抗は【そよかぜ】
バカ親だと思われるでしょうが、
荒波の中をひとりで進んでいけるのか?
まだまだ幼さの残る次男には過酷すぎやしないか?
など心配してしまいます・・・
思えば、もともと子供が苦手だった私が24歳で母親に。
全く思い通りになることはなく、いつもギャーギャー怒ってばっかりでした。
泣きながら眠ってしまった子供たちの寝顔に罪悪感は募る一方。
もっといいお母さんになるはずだったのに。
子供を「かわいいなぁ」なんて思う余裕は一切なく、
”早く子供が成長して手を離れないかな”
”いつになったら自由な時間ができるんだろう”
そんなことばかり思っていました。
大した用事じゃないのに、息をするように「おかあさん、おかあさん」と呼ばれ。
どこに行くにもくっついてきて、兄弟の悪事をこぞってチクりにきてました(笑)
しかし、いざ手が離れると後悔と寂しさがこみ上げてきます。
人間は、失ってからしかその大事さには気づかないものなのでしょうか。
あんな貴い時間は、もう帰ってきません。
たとえるなら、残り少なくなった歯磨き粉を今さら大事に使うような感覚です。
自立へのカウントダウンを感じ始め、そよかぜの反抗は受け流して。
貴重な時間を感じつつ、日々を大事に暮らしたいものです。