共感とねぎらい。
先週末、我が親の姉と弟夫婦(私から見て伯母と叔父夫婦)が面会に来てくれていました。
伯母は75歳,叔父夫婦も68歳と高齢にもかかわらず、片道2時間の道のりを会いに来てくれました。
お互いの近況報告をしたりたわいもない話をしましたが、親としては、やはり兄弟に会えたのが嬉しかったようです。
途中、親がトイレのため席を立ったので、軽めにこれまでの経緯を話しておきました。
会うまでは、「どこまで話そうか・・・」と思っていたんですが、とりあえず、ヤミ金の常連になっていたこと、孫の貯金箱から金をくすねていたことだけを伝えました。
親類にはこれまで誰にも何も言わずにいたので、叔父さんも叔母さんもびっくり。
言葉が出ない、という感じでしたが、「今まで一人で抱えさせてわるかったなぁ」と言われ、思わず涙がこぼれそうになりました。(必死でこらえましたが)
たったこれだけ、一言でものすごく心が軽くなりました。
「孫の世話をさせて、用が済んだらお払い箱にした」感からくる罪悪感。
”共感して、労いの言葉をかけられる”ことで、フッと気持ちが軽くなりました。
帰り際も「あんたばっかりに苦労かけて悪いね。よろしく頼むね」との言葉。
ホント、親には恵まれなかったけど、親類にはめぐまれたなぁ。救いはあるんだね。
心の軽くなった週末となりました。